ひろとBlog

捏造報道について

この12月に公開予定の「ニュースの天才」というアメリカ映画があります。この映画はアメリカで最も権威あるとされる「ニューパブリック」という政治雑誌があり、その若手記者であったスティーブン・グラスが書いた41本の記事のうち27本が捏造であったことが発覚していく経過を描いた作品です。

発行部数を伸ばしたい、そのために周りがスクープを賞賛する背景に、なんとか読者の気持ちを引き付けたい、そんな心の葛藤が彼を捏造記事へと導いていきます。スクープをものにして周囲から認められるときの高揚が、次から次へと捏造を重ねていきます。

一方、日本においてもメディアが、「売れればよい」「興味を引きたい」という安易な動機であることないことを面白半分で記事にする、報道するという言論の自由を身勝手な感覚で扱うケースの多いことに危惧を感じているのは、私だけではないでしょう。

捏造は誤報と違い、無いことをあるがごとき書くわけです。あきらかに意図的ですから、不正もへったくれもないのには、呆れてしまいます。
ジャーナリズムには不正は絶対に許さない決意と事件や事故の被害者への思いやり、そして正確な情報と記事への責任が重要ではないかと考えます。

記事を書くことによって、「それで、私たちの社会はどうなるの?」ということが、問われている気がしています。事実と真実を見極める心眼を養いたい。

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