ひろとBlog

親こそ最高の教育環境

キュリー夫人ことマリー・キュリーは、言うまでもなく、ラジウムの発見で1903年にノーベル物理学賞を夫妻で、1911年には単独で同化学賞を受賞している。科学の分野での2回の受賞は彼女一人である。

私は、マリーの次女であるエーヴ・キュリーが書いた名著「キュリー夫人伝」を愛読した一人でもあり、その中で注目することがある。それは彼女の業績ではなく、彼女が偉大なる科学者であると同時に、悲しみを乗り越えて二人の娘を育て上げた強き母親であったことです。

次女エーヴは、こう母を語っている。「家庭生活か、科学者としての生涯か、その何れかを選ぼうというような考えはマリーの心にかつて浮かんだことはなかった。彼女は妻としての愛情も、母としての役目も、それから科学も、等しく同列に置いて、その何れかも手を抜くまいと覚悟していた。」
マリーの娘たちへの教育は、マリーが常に信念を抱き、信念に生き続けた姿そのものであったということであると思う。

彼女は、娘たちに大きな財産を残してやれる機会が何回かあったにもかかわらず、自らそれを放棄している。彼女はどこまでも貧しさと戦い、自分の力で生活を確立していくことが大切だという信念を持っていたようだ。

私は、マリー・キュリーの歩みの中に、何ものにも負けない強靭な人間の芯をみるのである。この芯こそが二人の娘に対する最大の家庭教育であったのではないでしょうか。

家庭教育の根幹は、親が自らの生き方を通して子どもに人間としての芯を教え、それを生活のなかに育んでいるところにあるのだと思う。

ともかく、大切なのは、親が正しい生活への姿勢を厳然と持ち、愚痴っぽくならず、明るく生き抜いていくことである。「子どもは親の背中を見て育つ」と言うが、背中を見せるには、前を向いて進んでいなければならない。

まさしく、教育のなかにあって、「家庭教育」こそはまことに優れた“全人教育”である。
“魂の教育”であり、子供にとっての最大の教育環境は、親自身の心の中にこそあるのであって、親自身の成長しゆく姿に、家庭教育のすべてのかぎが、握られているのだと確信するのである。

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