ひろとBlog

雨にまつわるお話 その1

 ここ数日、関東も含めて全国が梅雨にはいり、さらには過去最高の降水量を記録していることもあり、水害などの被害に遭われている方々へ、衷心よりお見舞い申し上げます。

 しかし、雨と人間は良い面と悪い面でも歴史的に関わりが深く、それだけ人間の生活には一体不二であると思います。

 そこで、今後「雨にまつわるお話」を折々にお伝えしていきたいと思います。

今日は、現代小説のなかの雨について一言。

小説には、風景としてはもとより、ストーリーの背景にかかわりをもつ雨も多く登場してきます。

戦後の日本における印象に残る小説の雨をいくつか・・・・。

 中里恒子の『時雨の記』では、初老を迎えた男女の静かで深い愛を、晩秋から初冬に降る時雨に託して描いている。

 物語は、さあっと降りかかって消える時雨のように、男は女を愛し病に倒れ、亡くなってしまう。

以前、2人で訪れた京都を再訪した女は、藤原定家の時雨亭があったという小倉山で、「今ひとたびの逢うことも なくてぞもみじ散りにける 時雨ぞもみじ散りにける」と歌を詠む。

 題名の時雨はこんなところからも選ばれているのかもしれませんね。

 

 藤沢周平の作品にも、雨の題名が多い。

 『驟り雨』は雨宿りしている泥棒が、近くで同じように雨を避けている母子の身の上に同情して手を差し伸べる。

 『蝉しぐれ』も幼馴染の男女二人が、それぞれ全く違った立場になりながらも、20年もの間、お互いを想うせつない姿と、しぐれ雨を見事に描いている。

 江國香織の『冷静と情熱のあいだ』も、「さわさわと耳を濡らす雨の音」「雨は信じられないこまかさで葉をふるわせ・・」などの雨の描写がある。降り続く雨は、彼女の心の風景のように静かでいて、激しい。

 こうした雨の情景と人の心を描いた小説は、美しい場面として残っている。

 

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