本日の新聞にインドの「マハトマガンジー」が提唱した”怒りの日記”についての記載があった。
それは、NHK出版『ガンディーを継いで』の書を引用して、こうあった。
ガンジーの孫のアルン・ガンジー氏が10歳の時、肌の色を理由に差別と暴力を受けたことがあったそうです。
このとき、ガンジーがアルン氏に勧めたのが、「怒りの日記」。
それは怒りを感じることがあれば日記にすべてを書き出しなさい、ただし、怒りを撒き散らすために、増幅させるために書くのではなく、自分が感じる怒りが、どこからきているのかを理解し、解決の糸口を見出すのだと、ということであった。
そしてアルン氏は日記を通し、怒りを問題解決に変えていったそうです。
最近は、社会状況の反映ともいうべき、日常的な自身の悩みや苦しみを他者に転嫁し、無差別に凶行に及ぶ事件が後を絶たない。
生命の尊さを度外視した、まさに鎌倉時代に布教した「この世に幸せはない。極楽浄土へ行くことが幸せである」の教えで、当時の大飢饉にこの世を諦め、自ら命を絶つ人が後を絶たなかったときのようであると、ある人が言っていました。
本当に悲しむべき問題であり、被害に遭われた方々や遺族の方を思うと筆舌に尽くしがたい悔しさであり、悲しさであると思う。
確かに怒りは大切であり、黙っていてはいけないとは思うが、それは血を流す復讐であっては断じてならないと思う。
庶民を苦しめる権力の魔性と向き合い、対話で社会に正義を打ち立てる闘争こそが求められているのではないのだろうか。
「怒りは善悪に通じる」の言葉があるように、怒りを時代変革のエネルギーに展開する智慧(知恵)こそが最も求められている。そう深く感じた。