ひろとBlog

イラクでの邦人誘拐事件に寄せて

今回の日本人人質事件は、欧米でもかなりの注目を浴びることになった。

これまで経済力に頼り、世界的な外交・安全保障上の問題が起こると、血ではなく金で済ませてきたと見られてきた日本が、人質の命と引き換えに、戦後はじめての危険地域へ派遣した自衛隊の撤退を要求され、どのような対応をするか、海外は息を呑んで見守っていた。

日本政府、小泉首相がテロリストの脅迫に応じなかった態度は「非常に勇気がある」としてアメリカ政府ばかりでなく、英米の一般国民やメディアにも評価をされた。

しかし、その反面、日本が抱える問題も浮き彫りになったと言えよう。
たとえば、こういう事件が起きた時に、日本は説得、あるいは身代金という方法以外に救出の手段を持たないという点である。

いわゆる救出活動を行える部隊はない。
日本には海外の自国民を救う手段はなかったのである。

ゆえに、交渉以外に手段を持たない日本であるから、説得がかなわなければ、犯人の要望を飲むという見方が世界の日本に対する認識であった。
それは一度テロリストの要望を飲んだら、将来、より多くの犠牲者が出ると、辛い判断をしてきているからである。

ゆえにテロリストに屈してはならないという態度は、イラク戦争に賛成であろうと反対であろうと変わらないのである。
人質になった3人に関して言えば、無事に解放されて本当によかった。

しかし、この人たちは過去の戦争について何も学んでいない。
戦争を知らない世代でも、体験者の語ることや、その記述などによって追体験することは可能である。

彼らだけでなく、現にイラクに滞在する日本の民間人が、あの戦争から何かを学んでいたなら、いかに「人道支援」を振りかざそうと、けっして軽率な行動はとらなかったであろう。
あえて言うと、周囲や他人を省みず、やりたいことは何でもやるというのは、人間の規範でも、日本の規範でもないのである。

イラクに平和をもたらすために何を考え、何をするべきかをよくよく考えてもらいたい。
そして、その家族においては、彼らの身勝手な行動が、逆に様々な形で不幸を呼び起こすことを事件が起きる前に自覚し、イラク行きを捨て身で食い止めるべきではなかったのか。
それを無視して行ったならば、何が起きても自らが一切の責任は持つべきである。
まったくもって自己中心も甚だしいの一言である。

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