人の真実を見抜く。
これほど重大であり、一切の要になることもない。
しかし、これほどまた難しく、完全を期しがたいこともない。
世間一般では、自分にとって不都合なこと、耳に痛いことは聞きたくないというのが
常であると思う。
逆に、お世辞や甘言には、いとも簡単に乗ってしまう。
先日もある人が、「軽いものほど、風が強ければ強いほど上がる」とも話していた。
最近、戦国ブームになっている。歴女や歴史的遺構などに多くの方が足を運んでいるとのこと。
実は、戦国時代に織田信長の家臣頭で柴田勝家という武将がいた。
この小姓頭に毛受家照という人物がいたと「新書太閤記」に描かれている。
若いのになかなかの見識の持ち主であったとのこと。
ある時彼は、主君勝家の振る舞いが、粗暴すぎるのを見て勝家から請われた本のある
ページを目につきやすいように折っておいたそうです。
開いてみるとその箇所には、暗に勝家を戒める文が書かれてあった。
それを読んだ勝家は露骨にいやな顔をし、それ以来、家照を遠ざけてしまった。
しかし、真の忠臣が誰であったかわかる時が来るのである。
それは豊臣秀吉との戦いである有名な「賤ヶ岳の戦い」。
”秀吉軍来る”の報に、勝家軍は臆病風に吹かれ、脱走が相次ぎ、側近まで逃げるという
醜態をさらしたのである。
そんな中、
この戦いで、壊滅に近い打撃を勝家は受けるのだが、死中の勝家を救ったのが
毛受家照であった。
大将の居所を示す馬印をもって、わずかな手勢を率いて、秀吉軍に突っ込み、戦死
を遂げる。
その姿を見た勝家は、悔い悟るのであったが、後悔先に立たずであった。
人は見かけではない。
日頃は無口でも、おとなしくても、私達の周りにも、誠を貫く家照のような真の勇者が
いると思う。
そうした人を生かすのか殺すのか、その結果が、多くの心ある人を大いなる失意に
陥れることになるやもしれない。
リーダーの”聞くことを喜ばざる”怠惰と驕りが、敗北の大きな因になってしまう。